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  巷で拾った仏の言葉
  輪廻(りんね)と解脱(げだつ)

輪廻といえば仏教思想だと思っている人が多いのではないでしょうか。
確かに仏さまの教えの中には、しばしばこの言葉が出てきます。しかし輪廻という思想は、お釈迦さまがお生まれになるずっと以前からある、インド古来の死生観なのです。
輪廻とは、車の輪が廻るように、生まれかわり死にかわりをするというもので、上は天から、下は地獄まで、果てしなく巡り巡るという考え方です。
だから人々は、この世では出来るだけ善い行いをして、次の世にはもっと良いところに生まれかわりたいとの願いを持っていたのでした。
だけど、たとえ次の世で、天に生まれかわれたとしても、そこで楽ばかりしていたのでは、次の次の世には、また地獄へ堕ちてしまいます。
だから、「そんな願いは、迷いでしかない」とお釈迦さまはお考えになりました。
だからこそ、輪廻から解き放たれて脱出する道はないかとお考えになり、到達されたのが仏教の真理なのです。解脱(げだつ)とは、まさに輪廻の世界から解き放たれ脱出することが出来た理由の世界だといってもいいでしょう。


仏陀

仏さまのことを、仏陀(ブッダ)といいます。
これは、インドの「ブッダ」という言葉を、そのまま書き表したものです。
それでは、「ブッダ」というインド語にはどんな意味があるのでしょうか?
 それは「目覚める」ということなのです。勿論、お釈迦さまは、真理に目覚めた方ですから、ブッダそのものに他なりません。ちなみにインドの人は、「私は、毎朝ブッダになる」と言うのだそうですが、きっと皆さんは「インド人は、何て思い上がりが強いんだ」と思うでしょう。
 でもよく考えてみて下さい。「朝、目を覚ます。それがブッダじゃないか」と彼らは言っているしか過ぎないのです。ぐっすり眠り、スッキリと朝を迎えられたら、お互い最高の気分になるじゃありませんか。
 そんな時には、変な理屈なんていらないはずです。仏さまは、おそらく、そんな人生を私たちに教えたくて、法をお説きになっておられるのではないでしょうか。
 そう考えたら、気が少しは楽になりはしませんか。


縦糸と横糸

お経の、経という字は、縦糸という意味です。
では横糸のことは何というのでしょうか。
答えは緯です。地球上の位置を示すとき、東経・北緯という言葉があることを
思い出していただければ納得できるのではないでしょうか。
それでは、続いて中国の人たちは、インドから伝わってきた仏さまの教えに、
なぜ経という字をあてたのでしょうか?
それを考えてみたいと思います。
推測されるのは、仏教という新しい教えを縦糸にして、人生という横糸を
組み合わせ、新しい時代の生き甲斐を求めようとしたからではないかということです。
「経」にはまた、「治める」という意味もあります。
経済という言葉には、本来は「経世済民」といって、「世お治め、民を済(すく)う」
言葉があるのだとか。
お金のことしか考えないようでは、経済は行き詰まってしまうのは、今の世の中を観ても、
よく分かりますよね。
いろんな事が行きづまり状態の現代です。今一度、何を縦糸にし、何を横糸にすべきかを
考え直す時代が来ているという気がしてならないのですが・・・


無上道とは

仏様には、仏の教えという意味と、仏になる教えという二つの意味があります。
「仏になる」とは、いわゆる成仏するということです。
お釈迦さまは、私たち凡夫が、仏さまと同じように悟りを得るように、
との願いを込めて、教えをお説きになられています。
お釈迦さまがこの世に出られた本懐が説かれている妙法蓮華経の如来寿量品第十六には、
「毎(つね)に自らこの念をなす。何を以てか衆生をして無上道に入り、速やかに
仏身を成就することを得せしめんと」とのお経文があります。
無上道とは、この上なき道ということです。
日蓮聖人は、このお釈迦さまの無上道への願いを、そのまま我が願いと受け止められ、
人々の成仏を願い、お題目の信仰を弘められたのです。
法華経の詩人といわれる宮沢賢治も、この世を去る時には、法華経一千部を印刷して、
これを縁ある人に配布してくれるよう、その思いを両親に託し、
「私の願いは、あなた方が仏の教えに触れ、無上道に入られることです」と遺言したとか。
それならば、是非ともその御縁に貴方も出会って頂きたいものだとおもいます。
 
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