『隠信顕徳』 -いんしんけんとく-
過日、偶々、本妙寺の宝物館に足を運ぶ機会があった。本妙寺は加藤清正公の菩提寺。宝物館には、様々な清正公ゆかりの寺宝が展示されていた。
熊本に住んでいながら、宝物館には初めての訪問。拝観した寺宝は、どれもが貴重なものばかりである。
歩を進めると、清正公御着用の兜も収められていた。長烏帽子の形をした有名な兜である。
しばらく、じっと見入っていると、傍におられた学芸員の方から、思いもかけない貴重な説明を頂くことになった。長烏帽子兜にまつわる御話である。
驚くことに、この兜の細長い長烏帽子の部分は、清正公が自筆で写経された和紙を基に張り懸けて製作されたとのこと。当然、説明がなければ、このことは全くわからない。兜の表面が黒漆に塗られているのだから、土台の写経された和紙の部分は隠れてしまい、余人がうかがい知ることは到底かなわないことである。
私は、このお話に強い感銘を受けた。清正公は、あえて他人には見えないところにこそ、法華経の修行の足跡、功徳を残されているのである。清正公の偉大な法華経信仰の根幹の一部を垣間見せて頂いた気持ちがした。
清正公といえば、常に題目旗を靡かせておられる御姿。家中の合印も南無妙法蓮華経。いにしえの人々も、その外見から、清正公の法華経行者としての威徳を大いに感じとっていたことであろう。まさに、威風堂々である。
しかしながら、清正公の威徳は、その外貌だけで照しだされたものではない。見える部分に相応する以上の、見えない部分での修行による功徳に裏打ちされた内面性があったからこそ生じ得たのであろう。故に、清正公は、人々の真心を捉え、自ずと徳が顕れ尊崇の存在に、又、法華経を守護する善神として崇拝の対象となられたのであろう。日蓮大聖人の御遺文にいわく。
隠れての信あれば
顕れての徳あり 『上野殿御消息』
偉大な清正公の真摯かつ謙虚な信仰を今に伝える、長烏帽子兜。内と外との信仰心の両立。重要な課題である。我々も陰ながらの信仰を積み重ね、自然に少しでも徳が顕れるような存在へと近づきたいものである。
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