アメリカツーリング紀行

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1日目:7月13日(月)曇り

「なぁんだ、全然カナダと変わんねぇじゃねーか」が、俺のアメリカ第一歩、アメリカとカナダの国境を越えたときの第一印象だ。でも考えて見たら国境なんて人間が勝手に決めたもんだからそんなに別世界みたいに変わるわきゃないんだよね・・・。 長老は以前何度かシアトルまでは行った事のあるガッデム野郎だからどうでもいい、ちなみに長老とは、俺の今のルームメイトであり、今回のアメリカ大陸縦断ツーリングのパートナーでもある・・・・。

 1992年7月13日。
中学生の頃から憧れていたアメリカツーリングに遂に出発した。
昨夜、バイト先の飲み屋で遅くまで飲んでいたので、起きたらもう午前11時だった、カーテンを開けて見ると、少し曇ってはいたが天気は大丈夫だ。 ベットルームから出ると長老はすでに起きていて、音楽なんぞを聞きながら本を読むという余裕をブチかましていた。 俺らが借りている部屋は1BR(ワンベッドルーム)というやつで、日本でいう1LDKってやつだな、もちろん借主である俺がベッドルームを使い、彼はリビングで寝ている。「遅ぇよ・・・」と訴えている長老の鋭い視線を横目にシャワールームに入り、今まで何度やったかわからない荷物の点検をまたやり、今からヘルメットを被るというのに髪を整え、すべての準備を済ませた。

重い荷物を抱え、エレベータで地下の駐車場まで降り、パッキングを丁寧にすませる。いつも神を冒涜している俺だが、今日だけは真剣に道中の安全を祈った。単車にも「よろしくお願いします」と心の中で言った。 中学の時からの夢が叶うのだ、誰だってマジになるってもんだ・・・。 長老はタンクの横の「青春かけて92' 夏 MIHO」というわけのわからない文字を見ながらニヤニヤしてた、同じ大学に通う彼女が書いたものらしい・・・どうでもいいけど何だよその「青春かけて」ってのはよ!
まず俺のペイチェック(給料小切手)を取りにCIC(カナディアンインターナショナルカレッジ・俺の職場)へ向かう。 CICで俺のチェックを受け取り、その後密かに倉庫へ行ってアップルジュースとカレー粉をかっぱらい、さぁ出発!
このとき出発前の写真を撮ることも忘れない。その写真の顔がどんなに元気なものか、この時、二人は知る由も無い、最後の方の写真なんか二人とも死にかけた顔だったんだから・・。 シアトルまでは長老が道を知ってるということで、彼がナビーをすることにする。何度も言うようだが、彼はシアトルまでは行った事があるガッデム野郎である。

まず、ダウンタウンへ向かい、俺のペイチェックを現金化しにロイヤルバンクへ、カナダドルでは1200ドルほどあったが、米ドルにすると960ドルほどになってしまった、これが俺の今回の旅の全財産だ。
 どっちにしろ全財産なんだけど・・・。
ダウンタウンを抜けてルート99に入りひたすら南へ、国境へ・・・。
30分ほど走るとエアポートの近く、飛行機が低空で飛んでいる、Richmond 長老は軽快に飛ばしている。 この辺に来るとカナダに着いたばかりの頃を思い出す、あの時は右も左もわからずに、空港のタクシー乗り場でオロオロしてたのに・・・でも思えばあのタクシー乗り場から俺のカナダ生活がスタートしたんだっけ・・・。運転手に「何かいい仕事ない?」って聞いたら「特技は何だ?」って聞かれて「料理と柔道だ、柔道は三段のブラックベルトで2~3人なら素手で殺せる」って思いっきりハッタリかましたっけ・・・でも最後にゃ運転手に「まぁ人に紹介するようないい仕事があったら俺がやってるよ」なんて言われてちょっとシュンとなった。

1100ccの長老のバイクに離されないよう気をつけて走る、ちなみに俺のはKZ750R、日本でいうGPZ750だと思う・・・。700ドルで売りたいというCICの生徒から「お前のオヤジは味の素のロス支店長だろ? 俺のお袋はたこ焼屋だぞ!」とわけのわからない事を言って450ドルで買ったやつだ。 信号待ちで「この辺で二週間くらい泊まって、行ってきたような顔して戻ろうか?」などと半分本気ともつかない冗談を言い合いながら、走る。 家が少なくなってきて、あるのはデカい家ばかり、道が走りやすくなってきて、周りが畑ばかりになってきた、と思ったらもう国境だった。30分もかからなかった

 大きなゲートが見えてきて、その横に大きな星条旗が見えた、単純に「あ・アメリカだ」と思う。 古代ギリシャの建物のような白い門が見える、ビル三階建て分くらいある、デカイ!20分ほど手続きのための渋滞でノロノロ運転をした後、やっと俺達の番になる。 入国管理局に入り、俺だけ入国手続きをやる、本当に何度も言うようだが、長老は前に何度か入国したことのあるガッデム野郎だから、その必要はない。 最初に係官に「日本人か?」と聞かれた。腰に下がっている拳銃が妙にリアルでビビった、簡単に人を殺せる道具を持ち歩くってのはどんな気分なんだろうーなぁなんて考えてると、黄色い用紙を渡された、驚いたことにその用紙、日本語で書いてある。日本ってのは本当にメジャーな国なんだなぁと改めて思った。でも黄色い用紙を見て「やっぱり黄色なのね」と思ったのは俺だけじゃないはずだ。

5分ほどで手続きを終え、遂に憧れのアメリカの土を踏む、タイヤでね・・・。
感傷に浸る前にガソリンスタンドへ、だって安いもんね。カナダは日本の半分くらいだけどアメリカは更にその半分だ。1ガロンが1ドルくらいだからリッター30円くらいか・・・。(カナダはリッターで計算するが、アメリカはガロンで計算する) 笑顔で満タン、うーんいい国だ、国境近くに住んでるカナダ人は給油だけのために国境を越えてくる人もいるらしい。でも中東あたりの産油国ではリッター2円くらいっていうから、オイルビジネスってのはホント儲かるんだな・・・。

早速、ハイウェイ№5に入り、一路南へ。
風景自体はそんなに急に変わるわきゃないんだけど、速度表示もキロからマイルに変わっている・・・・アメリカだ。 (カナダはキロ表示) アメリカ、というだけで勝手にスピードが上がる、この国のフリーウェイが速度無制限だと思っていたのは多分長老くらいのもんだろう。 30分も走らないうちにBellinghamという町に寄る、アメリカの町というものを早く見たかった、というところか・・・。 そこでマクドナルドに入り腹ごしらえ。 マック自体はカナダと変わらないんだけど、外に出て駐車場で単車の横に座り込んで食ってると、屋根の上にまた星条旗があった。
この先、嫌というほど、この星条旗を見ることになる。いたる所に星条旗がある。日本で日の丸があるのとはちょっとイメージが違う、愛国心、国を愛する心、という言葉のイメージが日本とアメリカではかなり違うような気がする。 とにかく、とりあえずの目標はシアトルだ、というわけでアクセル全開120キロ位でブッ飛ばす。後ろの荷物を止めてるネットに挟んでいる兄貴から貰った帽子が吹っ飛んで無くなっていることも知らずに・・・・。

遠くにビル群が見えてきた、シアトルだ。
国境から約二時間、意外と近かった。初めて見るアメリカの大都会、結構感動していた。
長老はその頃「ホントにメキシコまでなんて行けんのかな?」と不安に思っていた、とは後で聞いた。
ガソリンがそろそろなくなってきたせいもあるが、アメリカ西海岸の都市は全部見る、という俺の最大目標の意味も含めて、シアトルでハイウェイを降りる。15分ほどシアトルの街中をウロウロするが結局ガソリンスタンドを見つけられずに、仕方なくバーガーキングに寄る。

「おめぇ、こないだ来た時はあったって言ってたじゃねーかよぉ・・長老ぉ・・」
「おっかしーなぁ・・たしかこの辺にあったんスけどねぇ・・・」
使えない奴・・・。

ここでなぜか俺だけ寒くてガタガタ震えてた、長老はケロッとしてたけど・・・。
体だけは丈夫な奴だ・・・気は小さいくせに・・・。
№5に戻り、10分ほど走ったとこでGSを発見、給油をすませ、№5に戻りしばらく走ったところで№101に入り、更に№8へ、この頃になるとナビーは俺に替わっている、その間にTacoma、Olimpia を通過している。
当初の目標は初日の夜はAstoriaまで行く予定だったが「行けそーにねぇなぁ・・・」と思いながら№12を130キロくらいで飛ばす。
パトカーのレーダーに引っかかってることもしらずに・・・・。
途中、現在地を確認しようと思い、単車を右端に寄せ地図を見ていると、後ろからパトカーがパテライトを回しながらやって来る・・・。 二人ともポカーンとしてると俺達のすぐ後ろに停まり「Holly!! 75mails、Guys!!」 とわめきながら警官が一人降りてくる。聞きたいことがあるから次の出口で降りて、すぐに駐車場があるからそこで停まれと言われ、逃げるわけにも行かず、言われたとおりにする。

最初に二人の単車が盗難車じゃないかどうかをパトカーについてるコンピュータで調べられた。
考えて見たら俺らはカナダのブリティッシュコロンビアナンバーだ、違う国のナンバーで走れるのもすごいが、その持ち主の名前が車のコンピュータ操作一つでわかってしまうのもスゴイ! 画面に「Masazumi Hakukawa」とでているのが見えた。
ラッキーなことにこの警官、なかなかのナイスガイで、10分間ほど問答を繰り返した後、「お前らのミンチは見たくないんだよ」といいながらも許してくれた。 ちなみにこの10分間、俺らはほとんど話を聞かずに、「この拳銃、本物?」って聞いたり、車の中にあったショットガンを見つけて大騒ぎしたりしてた。 最後にその警官も諦めたように「Slow Down!」 どーも速度違反が目的じゃなくて、盗難車や指名手配者をみつけるのが目的らしい、お国柄が違うのね、日本だったら完全に切符もんだぜぇー。

そろそろ暗くなってきた、と思ったらAberdeenという「こんなとこ絶対日本人いねーよ」みたいな小さな港町についた。「適当なモーテル探そうぜー」とか言ってたら丁度あったので入る。 そういえば、出発前にブライアン(俺と同じ職場の日本語のわからない謎の日系三世)が「アメリカのモーテルに泊まる時は単車も部屋の中に入れたほうがいいぜー」なんて言ってたが、無視して表に停める。が一応チェーン錠はする。
一泊45ドル、一人20ドルちょい、ちなみに経営者は中国人の方だった。

【本日の走行距離  430㎞】
「今、自分がアメリカにいるという実感はまったくない。初日から警察に止められたりしたが アメリカ縦断の旅、一日目がとにかく無事に終わった。」(日記より抜粋) 夜、この近くのポートエンジェルっていう町に住むマリ(バンクーバーで友達になった日本人留学生)に電話しようと部屋の電話を使いあれこれやるが結局かからず・・わかんねー。

【単車回想録(1)】
初めて単車に乗ったのはいつだったっけ? 確かあれは小学校3年生の時に兄貴と一緒にお袋のラッタッタに乗ったのが最初だった。 アノ頃は興味とかじゃなく、ただ「こがなくても走る自転車」のような感覚で、ただ「楽でいいな」と思った 小学校2年のときにスーパーカブの絵を書いて、市内で賞を貰ったことがある、その頃から少なからず好きではあったのだろう。  小学校5年生の時、担任の松本先生のバイクの後ろによく乗せてもらっていた。今考えると、あれはGS400だったような気がする。

その頃から少しずつモータースポーツというものに興味がでてきた。
中学に入ると部屋に単車のポスターが貼られるようになる。この辺は兄貴の影響が大きいと思う。
高校に入るともう完全に好きなものの一つに入るようになる。
友達の中にもちらほら免許を取ったり単車を買ったりする奴らもでてきた。
高校3年の時にスクーターで島原半島を一周したことがある。
この頃から自分にはツーリングの方が合ってるような気がしていた。
同時にこの時、ガス欠で一時間以上も単車を押す、という貴重な体験もする、これ以後ツーリング中にガス欠になったことは一度もない。 初めて、地図を見ながら未知の土地へ行くようなツーリングをしたのは18歳の時、単車はVT250Z、行き先は阿蘇横断、国道57号線から菊池スカイラインへ入り、菊池渓谷へ抜けると、いきなり大阿蘇外輪山の超大パノラマが眼前に広がり、ヘルメットの中で半狂乱の声を上げたのを憶えている。
その風景を見ながら「グランドキャニオンはもっとスゴイんだろーなぁ・・」と思った。

この阿蘇・大分・別府コースはその後、休みの度によく行くようになる。3回目か4回目の時に初めて、事故る・・。
その日は朝8時に出発しフェリーで有明海を渡り、熊本に着いてすぐレーダーに引っかかってしまった。
警官に「あと3キロ出してたら家裁行きだったね」と笑顔で言われ、「ツイてねーなー」とか思ってたら帰りに事故。
道に迷い、薄暗くなった街中で案内標識を探してキョロキョロしながら走っていてフト前を見たら車が!
フルブレーキのフルロック、横滑りのまま車の下に滑り込む、痛いのは俺の方だったが、示談で10万円払う。
この時親に借りた金はまだ返していない・・・。

この頃から海外ツーリングを意識し始めた。

大阪に住むようになってから、従兄弟の兄ちゃんに影響もあり、俺の単車熱は更に上昇する。
20歳を過ぎた辺りからレースに興味を持ち始め、従兄弟の兄ちゃんとその友達の3人でチームを作り、エンデューロのレースをやるようになる(パリダカなどはエンデューロに属する)
レース初挑戦は、一時間耐久のガルルカップ、緊張のスタートで痛恨のエンスト、超恥ずかしかったのを憶えている。ちなみにGパンとトレーナーでレースに出ていたのは俺だけだった。
2回目は3時間耐久のやっぱりガルルカップ、3人で交代で走る。
第一ライダーは従兄弟の兄ちゃんの友達の栗園さん、スタートして30分たったところで俺に交代、んで、また30分たったところでピットイン、従兄弟の兄ちゃんに交代、その時兄ちゃんが大声で「トップだぁぁぁぁぁぁ」と叫びながら走り出していく、わけがわからず、栗園さんに聞いて見ると、全部で300チームほど参戦してて、そのうちノーマルAチーム(無改造125cc)は90チーム、その中で、なんとトップだったのだ。
そして2時間経過時点で7位、3時間終了時には結局20位だったが、俺は大満足だった。
その後、一年ほどやるが金が続かず、やめる。

海外に本格的に行こうと思い始めたのが20歳の時、当然の如く海外ツーリングにつながり、そのための道具なども揃え始める。
同時に経験もつけるために紀伊半島一周ツーリング、四国一周ツーリングなどをやる。
 その頃の愛車はCB750F、今まで乗った単車の中で最高のものだった、そしてカナダに来て、KZ750Rを買った。
長老が初めて単車に乗ったのは高校一年の時らしい、単車はホンダ イヴ スマイルという女性用のスクーター・・・ダセェ。そのあと、MBX50という単車を買い、小田原から京都まで行ったことがあるという、彼のツーリング経験は以上だ、2回目がこのアメリカツーリングというから、ある意味スゲェ奴だ。一日目のことで付け加えるとしたら、部屋に置いてある聖書を見て、長老が「まささん、ここヤバイんじゃないスかぁ?こんなもん置いてありますよー」だってどこにでも置いてあるんだよ、バッカか?
あと、夜俺が近くの店でブリトーを買い、一口だけ食ってあまりの不味さに捨ててしまい次の朝、それを一口だけゲロったのを見て、長老が「誰が言ったか、誰が言ったかぁ、ひーとーくーちぃゲェロォ!!」とわけのわからない歌を歌っていたのを見て、マジで殺意を覚えたことくらいか・・・・。

一日目終わり・・・


  • 出発前の元気な顔

  • 警官に止められたあたり

  • レースやってる頃

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