アメリカツーリング紀行

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4日目:7月16日(木)曇りのち晴れ

朝7時起床、とりあえず長老が具の無いカレーを作り、俺はその間に辺りをウロウロして小枝を集め、焚き火をする。7月だというのにすごく寒い。
空は相変わらず濃い霧に覆われていて、周りもよく見えない、キャンプ場はシーンとしている、まだみんな寝ているらしい・・・。
便意を催してトイレへ。 驚いたことにここのトイレ、超キレイ、シャワー室もある、8ドルも取られたはずだよ。ウンコするのが惜しいくらい。
うまいのかマズイのかよくわからないカレーを食べ、写真を何枚か撮ったあとに荷物をまとめて出発の準備をする。 単車にたくさんの水滴がついている、それを拭きながら、本気で昨日一日の走りに礼を言い、今日これからのことをお願いした。
それにしてもアメリカのキャンパーのマナーのよさにはビックリした。とにかく静かでキレイにしている。都会ではできないことをうまくやっている、という感じだ、一部分の日本人のキャンパーのようにカラオケや酒盛りやバカ騒ぎをしている人間は皆無だ。
お前ら!都会でできることは都会でやれ!と言いたい。
昨日と同じくらいの濃霧と冷たい空気の中、相変わらず続く海岸線沿いの曲がりくねった道を走る、いいかげんイヤになりそうだったが、もうすぐ憧れのサンフランシスコだと思うと、わずかに元気になる。
2時間もすると、天気は曇りだったが、気温が上がったのか、霧だけはマシになってきた。Jennerという町で給油、どこもかしこも田舎町、飯食うとこもありゃしない。SalmonCreekという町で休憩、一服していると、横に車と停めたオッサンが「どこまでだい?サンディエゴか、あの辺じゃ単車を嫌ってる奴が多いから気をつけな!」とか言ってきた。(バーカ、そんな町あるわけねーだろ!)とか思ってたけど長老は涙目だった。

その後、30分ほど海岸線沿いの1号線が続き、やっと101号線にぶつかる。さぁシスコまでもう目と鼻の先だ、と思うと次第にスピードも上がる。
ハイウェイの割に勾配のきついアップダウンが続き、遠くに時々チラッ、チラッと赤いものが見える。やがて前方に大きな、マジで大きな橋が見えてくる。
「ゴールデンゲートだよあれが!」と思いながら、多くなってきた車の間をぬって走る。あの橋をバイクで渡る自分を何千回想像したことか・・・。
 18歳の時、サンフランシスコの日本料理屋で働かないか、という話が親戚の人からあった、即答でOKしたが、結局その話は色々あってダメになった。それからずっと自力でサンフランシスコに行くことを考えていた。仕事はできないけど、とりあえずやっと来た、五年もかかってしまった。
霧で有名な街だが、今日は街全体が良く見える、まるで昨夜の試練に耐えた俺らを歓迎するかのようだった。
遠くから見ても大きいが、近くで見るとやっぱり大きい。日本でも幾つか、大きいといわれている橋を見たけど比じゃない。色のせいもあるが、何か重々しい雰囲気が漂っている、柱の一つ一つがしっかりしている。走りながらこの五年間を振り返って見た、俺はなんて幸せなんだろうと思った。
渡りおわったところに料金所があった、ふと現実に戻る、でも安いもんだ、瀬戸大橋に比べれば月とウンコぐらい違う。別にこの橋の料金がウンコというわけじゃないが・・・。
市内に入っていきなり迷う、仕方なく入った道、両脇に何百人もの黒人。別に差別するわけじゃないが、やはりあれだけの人数に囲まれると、いい気持ちはしない。長老は既に目が戦闘態勢だった・・・でも涙目だったけど。
やっとマーケットストリートを見つけて、単車専用のパーキングスペースに停めて、長老がマクドナルドに昼飯の調達に行き、その間俺が荷物の番をする。

その待ってる間にふと考えたことだが、このサンフランシスコという街、ダウンタウンの中だと、どんなに迷っても、東西どちらかに歩けば必ず、このマーケットストリートに当たるようになってる、ここの都市計画をした人の技ありってとこだな。(格子状に道がなってるところに斜めに一本太い道路が走っているのだ)
長老が戻ってきて、単車にまたがったまま二人でマックの袋を開ける
「ゲーッ!俺のビックマックが入ってねぇ!!」いきなり叫びだす長老にかまわず俺が
「いやぁー やっぱゴールデンゲートブリッジはデカかったなー!長老」
「え? あれがそうなんスか?」
・・・・死んじゃえ。
 色々話しているうちに、まだ昼過ぎだったが、俺の強い要望でここで一泊することにする。その後、少しウロウロしてモーテルを探す。10分ほどしてあったTRAVELODGEにチェックイン、75ドルプラス税8ドル、少し高めだったが、めんどくさいからそこに泊まることにする。
チャイナタウンも見たかったが、日本町を見ることにする。
まず、長老の単車のオイルを買いに行く(長老の単車のオイルリーキングの為)、二軒目の単車屋、結構デカくて色んなバイク用品もたくさんあって30分ほど見て回る。
そこの店員が「お前ら、さっき店の前通っただろ?お前のその背中のプリント、憶えてるぜ」と言ってきた。出発前に俺の猛反対を押し切って、長老は背中に日章旗をつけたのだ。それが目立っているらしい・・・。
長老は顔一杯の笑顔ですごく嬉しそうだった。ちなみに俺はジャパンバッシングを警戒して「CANADA」のマークを縫い付けた。安い!革ジャンが安い!バリバリのライダージャケットが100ドル台である、くそっ!もっと金があったらなぁ・・と100回くらい思った。

地図を頼りに日本町を探す。15分ほど歩くとそれっぽい雰囲気になってきた(ちらほらと漢字の入った看板が見られるようになる)ふと横を見ると「資生堂」の看板、ちょっと嬉しくなってカメラに収める。
 カタカナで「デニーズ」と書いてある看板があったと思ったらもう日本町だった、そんなに大きくないが、文房具店や雑貨屋やレストラン、色々な店が集まっていた。ふと落ち着いてしまうところが、やっぱり俺は日本人だな、と思った。
「越後屋」という泣かせる名前の店に入り、トンカツを食う。まだ明るい時間のせいか、お客さんは少なかった。
やっぱり日本食が一番だな、と心から思う。
満腹を抱え近くの雑貨屋へ、お菓子やジュース(日本の)を少し調達する。ちなみに俺はUCCの缶コーヒーとカールを買う。ここを素通りできる奴は非国民だ。
モーテルに戻る頃にはもう薄暗くなっていた。チャイナタウンに行くのは完全に諦めて部屋に入り、さっきの日本町で買った絵葉書を書き始める。 文通魔の俺はハガキを7通、封筒に入れる手紙を、それもかなり長文で書いていた長老は3通だった。

今日はほとんど走ってないので、あまり疲れもなく、結構遅くまで色々話して夜を過ごす。いつもは長老だけ元気で、俺はボーッとテレビを見てることが多いのに・・・。

【本日の走行距離  228km】
5年間の夢は一日で終わったが、本人は大満足だ。

【単車回想録(4)】
高校三年の時、友達のタカシが、近くのクズ鉄屋から車種は忘れたが、50ccのモトクロス車を五千円で買ってきた。
タカシはもともと単車好きで、しかも工業高校の機械科だったのでメカには詳しく、ほとんど動かなかったその単車を、うまくギアをつなげば100km/hくらい出るまでにしてしまった。俺も少し手伝ったが、ほとんど彼がやった。
ナンバーなどは取らず、無届のまま海辺や土手で乗りまくった。空き地や防波堤の上なんかで、何回も転びながら、楽しんだ。
ある日、最高速を測ろうと公道の直線を「ビーン」と何往復もしてるうちに、近所の人に「警察呼ぶわよっ!」と怒鳴られ「うるせー!!」と言いながら逃げて、それ以後乗らなくなってしまった。 この頃から、イジる楽しみもあるんだなぁと思い始め、同時に田舎の煩わしさも改めて感じはじめ、高校を出たら遠くへ行きたい・・・と真剣に思い始めていた。

四日目終わり・・・


  • 「資生堂」の看板

  • サンフランシスコのモーテルから

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