アメリカツーリング紀行

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7日目:7月19日(日)晴れ

朝9時起床、今日は長老もベッドの上にいた。
あまり赤くなってはいないが、やはり肩の辺りがヒリヒリする、その部分を庇いながら、なんとかシャワーを浴びる。この時、海パンを干してたのを何で思い出さなかったのか、今考えても悔しくてならない。
外に出ると、相変わらずの晴天!
突き抜けるような青空とはこのことだな、心から思うくらい、すばらしい天気だ。風景も女の人もみんな輝いている。
「まささーん・・やっぱ寝相悪いッスよぉー」
長老だけがドンヨリしてた。 オフィスに行き、少し世間話をしてから鍵を返す。
出発前、サンタバーバラの最後、ということで海をバックに長老と二人で記念写真を撮ろうとして、一人ずつ撮っていると、後ろから、赤ちゃんを抱いた女の人が「うつしてあげましょうか?」と言ってきてくれたから、よかったよかった、ということで写してもらうことにする。
カメラを返してもらう時にその女の人が「お元気ですか?」と日本語で話し掛けてくれたのにはビックリした。そーいえば昨日ビーチをウロウロしてるときに写真を撮ってくれた白人のネーちゃんも日本語を少し話せた。うーん・・日本語もメジャーになりつつあるのか?
ちなみに今日の人はオリエンタルとスパニッシュか何かのハーフっぽい、エキゾチックな人だった。

とりあえず海岸線を抜けて、ハイウェイの入り口まで風景を楽しみながらノンビリ走る。すばらしい海岸線を西海岸の風に吹かれて走る。
砂浜が終わったところで少し内陸に入り5号線の入り口を探すと10分くらいで割と簡単に見つかる。ここぞとばかりにアクセル全開、今日も元気な俺のKZと長老のKATANAは快調にロスに向けて走り出した。
ハイウェイに入ってもしばらくは海が見えた。本当にすばらしい風景・・・俺はこの風景をこの旅を、一生忘れないぞ、と一人心に誓った。
Venturaという町を過ぎた辺りから緑が少しずつなくなってきた、そして涼しかった海風もなくなり、まわりは砂漠のような風景に様変わりしてきた。草木がなくなり、あっても背が低くて丸くなってる木がポツポツとあるだけだった。
暑い! たまらんくらい暑くなってきた。
昨日、十分焼けたのでもういいと思って、今日はまた革ジャンを着てたが、ロスまであと300マイル弱という辺りでとうとう脱いだ、でももう日焼けはイヤだったのでTシャツの上から長袖の、しかもタートルネックのシャツを着る。
周りは低い山と広大な牧場しかない、ロサンジェルス平野に入ったらしい。それにしても広い。海岸線沿いの明るさを軟派なカリフォルニアのイメージとするならば、こっちは硬派なカリフォルニアと言えるだろう。 あの小山の上で馬にまたがったガンマンが葉巻をくわえて、夕陽を見つめていたんだろうなーと真剣に思った。そして俺の頭の中でそのガンマンは・・やっぱり無精ヒゲを生やした、クリントイーストウッドだった・・・。

途中、何回か道路わきに小動物の死体らしきものを見つけた。東京の路地裏で犬なんかが死んでたら、それこそ「犬死に」って感じで、いつ保険所が処理に来るのかなーくらいにしか考えないが、この風景の中だったら「土に帰る」って感じになってしまう。同じ「死」でも場所によってこんなに違うもんか?
 一時間ほどそんなわけのわからない事を考えながら、相変わらずの猛暑の中を、ひたすら、前を見ること、アクセルを上げること、寝てしまわないこと、それだけに注意しながら、走る。
今まで単純だった道が急に複雑になってくる、標識や分岐点がやたらと多くなってきて、車が段々増えてきた、と思ったらもうロス市内に入っていた。でもこの広さといったらスゴイ、自分が今どこを走ってるかなんて全然わからん。標識だけを頼りに、とにかく「№5」のマークだけを頼りに走る。
LongBeach BeverlyHillsなど、聞いたことのある地名が途中あったが、とにかく、今日はサンディエゴまで行って、またこのロスまで帰ってくる計画だから、ことごとく素通りする。後で考えたら、少々無理してでも寄っておけばよかったかな、と後悔している。でもまぁこのへんは誰と来るかわからない新婚旅行にでも取って置こう、ということで自分を納得させる。
(実際には新婚旅行は長崎の人間なのになぜか霧島高原キャンプ旅行だった・・・)
それにしてもロス市の広いこと広いこと、後で調べたら、関東平野と同じくらいの面積なんだとさ・・・。
 せっかくサンタモニカで休憩して「きてーきてーきてーきてー サンタモーニカー ジュンコでーす」って言って長老をシラけさせたろ、と思っていたのに、気がついたら通り過ぎてた。

とにかく今日中にまたロスに戻ってくるわけだから、また後で帰ってきたときに寄ればいいさ、というわけでロス市内はことごとく通過する。
 途中、ディズニーランドがあった、「本場かー!」と思った、無理をすれば寄れない事もなかったが、妙な意地みたいなものを感じて、素通り。
「俺は普通の観光旅行なんかでアメリカに来たんじゃない!」
「観光ツアーで来た女の子みたいなマネできるかっ!」
か・・かっこいい。
MissionViejo SanjuanCapristano SanClementeと、風に強そうな低い屋根の家が建ち並ぶ町を過ぎ、5号線は再び海岸線沿いへと続いていた。
再び涼しい海風にあたって、ノーヘルで走りたい衝動にかられながら走る。2~3年前まではこの辺もみんなノーヘルだったんだろうと思うと、つくづく残念に思う。だってこれから日本にもし帰って、アメリカを走ったって人に言ったら絶対「ノーヘルだろ?」って言われるに決まってるんだから・・・・。
基本的にはノーヘル反対派なんだけど・・・・。
風は涼しくなってきたが、日差しはドンドン強くなっていく。町並みはすっかりメキシカン、周りにいる人達も断然そっちの人が多くなってきた。
午後二時過ぎ、一番日差しの強い時間になった、しかも天から降り注ぐのは、あのテキーラサンライズ!。  途中、少し眠くなってきたのでレストエリアで休憩、海に面した眺めのいい所だった。

そこでチェーンがゆるんで来ているのを発見し、レストエリアのパーキングでカチャカチャやっていると、白人のカップルが話し掛けてきた、「どっから来たんだい?」 と、言いながら俺達のBCナンバーを見て
「ブリティッシュコロンビア?カナダか!遠かっただろー?」
「一週間かかった」
「ロスの地震とか暴動の跡は見たかい?」
「これからサンディエゴ行って、引き返してからロスに寄るんだ」
「そりゃ大変だぁ!」
などと他愛のない話をしていたら、すぐ頭の上を戦闘機が二機、飛んでいったかと思ったら、その数秒後に物凄い爆音が通り過ぎていった。耳が裂けるほどのすごい音だった。
「あー・・音速超えてるってこーゆーことを言うのね・・・」と思っていたらそのカップルが「すぐそこでウォーゲーム(軍事演習)やってるよ」と、教えてくれた。「へぇー・・・俺達も入れるかな?」と言ったら得意の天を仰ぐ笑い方で大笑いしてた。こっちのギャグのレベルなんてこんなもんよ・・・。

なんだかんだでチェーンを直し、一服し、そのカップルに別れを告げ、再びアメリカとメキシコの国境の街、アメリカ西海岸最南端の街、サンディエゴを目指してアクセルを開ける。
5~6kmも行くと、確かに米軍の仮説基地があり、たくさんの戦車やトラック、軍人さん達がいて、相変わらず戦闘機が飛んでいた。
頭上を戦闘機が飛んでいく瞬間、なんともいえない恐怖を覚える、本物の戦闘だったら、もっと恐いんだろーなー・・。
ロスが近づいてきた時もそうだったが、またハイウェイが複雑になってきて、標識や分岐点がやたら多くなってきた、と思ったら遠くにビル群が見えてきた。 サンディエゴだ!。
ハイウェイを降り、街なかに入る。高層ビルは多いが、全然ゴミゴミしてなくて、というか、なんかスカスカしてる感じ、大都市特有の雑多さがない、あまりエキサイティングじゃなさそう・・・つまり、ちょっと期待はずれの街。
海岸に大きな戦艦が泊まっていた、これもさっきのウォーゲームと何か関係あるのかな?・・(後で聞いた話によると、サンディエゴは米海軍の軍港らしい)
しばらく街をウロウロするが、確かに単車がほとんどいない、三日前にシスコの近くであったオッサンの言ってたこともまんざらじゃないのかも知れない。
とにかくガスを補給してバーガーキングに寄る。いつものように駐車場で単車の横に座り込んでちょっと遅い昼食。ここで長老がトイレを使おうとしたら鍵が開かない、カウンターで聞いてみるとクォーター(25セント硬貨)入れないと開かないよ、と言われ、そのウェイトレスが一個くれた。その硬貨、よく見るとメキシコのクォーターだった。

「あー もうすぐそこはメキシコなんだよなー」単純にそう思った。「まささん、まささん。これ、メキシコのやつですよね、すげぇー 取っとこーっと」彼も単純だった。
本当はメキシコのTijuana(ティファナ)まで行きたかったのだが、国境を越えたところにあるその街の治安の悪さは、噂でイヤと言うほど聞いてたので、やめる。バイクなんて置いてた日ぃにゃぁ、ものの数分でパーツに分解されて無くなってるっていうんだから、たまらん。
まぁ、とにかく国境の街まで来た、ということで納得することにする。
このサンディエゴという街、理由はわからないが、とにかくONEWAY(一方通行)がやたら多い、都心のほとんどはONEWAYだ。そのせいもあってか、思うようにハイウェイに乗れず、10分ほどウロウロした後、やっとの思いでハイウェイの入り口に辿り着く。
帰りは少し内陸を走る15号線を走ろうかと思っていたが、気がついたら5号線だったので、再び5号線を北上することにする、この辺が旅の気まぐれ、と言ったところか・・・。
さすがにここまでくると、メキシカンっぽい人が断然多い。この中に永住権を持たない人が、密入国の人が、不法滞在の人が、一体何人いるのだろうか。移民局の目を逃れてながら生活してる人が何人いるのだろうか・・でもイメージは明るい。
この国なら俺も、ビザなしだろうが何だろうが、ずっと住めるんじゃないだろうか、などとタチの悪いことを考えてしまった。
さっき見た風景を逆から見ながら走る。長老もがんばって走っているようだ。
やっと折り返し地点を折り返した、という感じか・・・でも旅はこれからだ。

ところで、今更のようだが、勿論この国もカナダも右側通行、だからこの西海岸縦断を選んだようなものだ、なぜなら西海岸を南下するとき、一番海岸沿いを、対向車を気にせず、右側に広がる水平線を見ながら走れるからだ。日本で四国を一周したときも、左側通行だから、時計回りに回った。
何かを決める時、別にどっちでもいい時俺は、単純な、子供じみた理由をよく使う。
時速80kmくらいのペースでゆっくり走っていると、一台の二人乗りの派手な色のGSX600Fが、まるで俺達をあざ笑うかのように、ビューンと抜いていった。しかもタンデムシートに乗っているのは金髪をなびかせている女だ。ちょっとムッとしたが
「あーあーガソリンの無駄遣いしやがって・・・それにしてもウラヤマシイー!」
と声に出して言ってみた。すると長老のGSX1100S KATANAが、後輪から白煙を吐きながら、鬼のような加速で、その金髪を追いかけていった。
何度もいうが、彼は単純である、そのうえ短気でもあるのだ。
途中、道に迷う。というか広すぎてどこをどう行けばいいのか、まったくわからなくなり、しかたなく交差点に立っていた黒人のポリスマンに「リトルトーキョーはどっち?」と聞いて見たら「この道をまっすぐ行って、最初の信号を右だ」と、とても事務的に教えてくれた。
「なーんだ、近くまで来てたんじゃねーか」
夕方の6時20分、やっとの思いで目的地の小東京につく、小東京の中でもホテルがなかなか見つからず、ウロウロする。

「328 EASTFIRSTST・・・東一番通り328番地だろぉ・・・ねぇなぁ」住所のところに行ってみても、確かに日本人経営の都ホテルロス支店はあるんだけど、昨日、俺達が電話したのは確か「ホテル東京」のハズだ・・・。
どーしても見つからないので、しかたなくその都ホテルに入って、フロントで「カドマツって名前で予約ありますか?」って聞いてみたら・・・あった。
名前がホテル東京から都ホテルに変わってたのね、昨日みた本、ありゃ古いな。その上昨日電話したときは英語だったから最初向こうがどう挨拶したかなんて聞き取れなかったしなー。
 とにかくチェックイン。ちょいと高いが(一人50ドル)、ロスで変なところに泊まって、エライ目に会うよりはマシだな、とか思って黙って払う。
部屋は717号室、鍵はなんとカード式、しかも毎回違うプログラムだから(後で知ったが、これは当たり前らしいのね・・・)そのカードは記念に持って帰れるらしい。単純に嬉しい。もちろん今もそのカードは俺の机の引出しの中にあることは言うまでもない。
チェックインした後、単車を地下の駐車場に入れる、ちゃんとしたガードマンもいる。今回の旅の中で、今夜ほど安心して眠れる日もないだろう・・・。単車二台で車二台分の駐車料金を取られたのには少々ムカついたが・・・・。
単車二台なんだから車一台分のスペースで十分じゃねーか!バッカ野郎!!それにしてもあの炎天下の中、よく走ってくれたと単車に礼を言い、荷物を降ろす。エレベーターで7階まで上がり、はしゃぎまくる長老を押しのけ「俺が一番でカードで開けるんだっ!」と、まるで修学旅行の学生のように二人で廊下を走りまくった、重たい荷物を引きずりながら・・・。

少々緊張しながら、もちろん俺が、ブツブツ言う長老を押しのけ、カードで鍵を開ける。中に入る、それはそれはいい部屋、ベッドもちゃんと二つある、ツインを予約したんだから当たり前と言えば当たり前なんだけど・・・。それを一番喜んだのは長老だと言うことは言うまでもない。
 相変わらず聖書にビビってる長老を無視して、しばらく部屋を物色する。案内なんか全部、英語と日本語の両方で書いてあって、なぜかホッとする反面、「こんなとこに泊まっていいものか・・・」という気もした。 日本を離れて、外国というものを見に来たのに、これでいいのか?でも考えて見たら、ここはどう転んでもアメリカだし、このリトルトーキョーもアメリカをいうものを形成してる一部なんだな、と一人納得して部屋をでる。
アメリカという国は存在しないと思う。世界中の人達が集まって作った理想の大陸。
いや・・・理想の国になろうと必死で努力してる国だ。
精神的な歴史では、まだ発展途上国かもしれない (日記より抜粋)

リトルトーキョーを一時間ほどウロウロするが、それはそれはすごい所。会話は全て日本語でOK、メニューなんかも全部日本語と英語の両方で書いてある。
 「日本」を強く意識してるから、店の内外装、看板まで全部が、ヘタな日本の店より全然日本的、でもその、変に日本的なところが返ってアメリカを感じさせてるのが不思議だった。
確かにここは日本ではない、でもアメリカでもないような気がした。日本でもアメリカでもない、リトルトーキョーという一つの小宇宙のような、全く別の世界のような妙な気分だった。

などと、わけのわからないことを考えながら、日本料理屋に入り、カツ丼と月見うどんを食べ、二人でビール(もちろんキリンね)を2本開ける。
 ホテルに帰り、今度はロビーにあるお土産屋に入ってみた。入ったところのオバちゃんがそれはそれはよく喋る人。シアトル生まれのロス育ち、という日系二世の人で、もちろん日本語ペラペラ。長老に「彼女はいるの?」と聞き、「います」って答えた途端、捕まった。
 「彼女にこれなんかどう? あ!これの方がいいわ!」
などと延々一時間、長老は話を聞いていた、俺は面倒くさくて、スーッとフェイドアウトして部屋に帰った。それからしばらくしても長老が帰ってこないから、もう一回ロビーに降りて見ると・・・まだ聞いてた。
 買う気ではいるのだが、どれにするのか決められないらしい。まったく、優柔不断というか何と言うか・・・日本では剣道をやってたというのに、
武道家精神のカケラもないのかっ!
結局何か買ったらしく、やっとのことで部屋に帰る。でも人のことは言えない、かく言う俺も、わけのわからん栄養剤を買わされたんだから・・・。
部屋に戻って早速テレビをつける。何と、日本のテレビドラマをやってた。「東京エレベーターガール」って言う奴で、英語の字幕スーパーが出るという、日本と逆のパターンだった。
印刷会社に勤める赤井英和とデパートのエレベータ係の宮沢りえの恋愛ものだったが、それを見た後、日本に帰ることになったら、印刷会社で働こうかな、と半分真剣に思った。そのくらい、日本での日本語による日本人女性との恋愛に飢えていたのかもしれない・・・・・・単なるスケベか?

シャワーを浴びたり、荷物を整理したり、日記を書いたりしてるうちに、すぐに深夜になってしまった。案内を読んでいたら、深夜の有料テレビの案内があった。スケベ番組がないかと見ていたら「Weyn's World」があった、これはバンクーバーで友達に、面白いから是非見るように薦められたが、色々忙しくて見逃してしまった映画だ。一時間7ドル50セント、ヘタな映画よりよっぽど高かったが、どーしても見たくて見た。英語がよくわからないところがあったが、それでも腹を抱えて笑った。

なんだかんだ言って贅沢な旅になってしまった。だけどロスに来て、胡散臭いボロホテルや、ましてや野宿など俺にはできない。ヘタするとシャレにならないことになる。日本に居る時の「シャレにならんでー」とは、ひと味違う「イヤ、マジでシャレにならん・・・」になるのだ。
この辺なら、強盗野郎、殺人鬼、変態、強姦魔、なんでもアリなんだから・・・。
でもこれくらいのホテルだったら、とりあえず安心だろう。長老は寝相の悪い奴が隣にいないだけで十分、安心なんだろうけど。映画を見終わって、「あー面白かった」とベッドを見ると、長老はもう寝ていた。幸せそうな顔で、誰にも邪魔されずに・・・。 静かにベッドに入り横になる。
「明日は午前中、少し街をウロついてみよーっと」とか思いながら、寝る。KZもKATANAも地下のパーキングでゆっくり休んでいることだろう。

【本日の走行距離 550km】

七日目終わり・・・


  • エキゾチックな人が
    写してくれた俺と長老

  • サンディエゴ近く、
    海に面したレストエリア

  • ホテルの窓から見えた
    ロスのビル群

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