アメリカツーリング紀行

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あとがき

この10日間は俺の23年間の人生の中で最高のクライマックスだったような気がする、「あー・・今 人生のクライマックスだよー!」と思えることを、俺はこの先何回作れるだろうか?・・・。
「こんな旅にしよう」と最初に決めて旅に出るのは、やめた方がいい、と何かの本で読んだことがある、でも俺は違う。地図の上で名前しかしらない町、「行ってみたいなー」とまず思う。とりあえずどんな所なのか想像してみる、何時ごろ出発して何時頃着く、とか具体的に決めてみる、夕陽が似合いそうな町だな、と思ったら夕方に着くように計画する、そして実際に行ってみて想像と違うとこ、合ってるとこを探して楽しむ。
例えば、今回の俺のように地平線を見たいと思ったら、地平線をバイクで走る自分を想像してみる、それだけでゾクゾクしてくる、そして実際に計画を立てて地平線を求めて旅に出てみる、実際に地平線に向かってバイクで走ってみる。
心から自分が望んだものに対面するときの充実感、「これだよ!これ」と思えるときの満足感、快感。
計画を立て、それを実行する旅。そんなもん楽しくないよ、という人も居るかもしれない、でもそんなことはない、なぜなら、すべてが計画通りに行く旅なんて絶対にないからだ。
 計画する楽しみ、実行する楽しみ、そして時には偶然に出会い、気まぐれに身をまかせてみる、そのすべてを楽しむ。人生も同じようなものだと思う。

楽しくない人生だけは送りたくない、と思ってた。
高校生のとき、まわりのみんなは必死で勉強してた。
みんなつらそうだった、楽しくなさそうだった。
したくもないことを、何でそんなにまでしてやるんだろう?
させる方もさせる方だ、と思ってた。
確かに、目標を持って勉強してる奴もいた。だが、その他の奴らは、なんて退屈な連中なんだろうと思ってた。
俺は楽しく生きよう、と思った。
面白い人生を送ろうと思った。
みんなが静かに勉強してる部屋で一人で騒いで笑ってたような気がする。
退屈な連中、退屈な先生たち、俺を退屈な世界へ引きずり込もうとする人もいた。
でも俺は楽しんでいる、天から与えられた一度しかない人生を楽しく生きているつもりだ。
楽しく生きることは、言ってみれば俺からの退屈な連中への復讐でもあり唯一の俺の自己表現でもある。
勝手な死に方をするよりは、勝手な生き方をした方が、遥かにいいのである。
とにかく、無事バンクーバーに着き、23歳にして初めて本物の地平線を見ることができた。水平線を見に行ったのが20歳のときだった。何メートルも積もる雪をカナダで初めて見た。摂氏40度以上の気温をアメリカ南西部で初めて経験した。
次は何を見るのか、次は何を経験するのか。
俺はまだ何も知らない・・・。

【あとがき-伯川正純】
高校生のときに、少しだけ小説家に憧れて、2~3編小説を書いたことがあった。
バイクに乗るようになってから、いつかツーリングの紀行文を書いてみたいと思っていた、でも今回この紀行文を書く直接のきっかけは、バンクーバーにいるとき、夜バイトしてた飲み屋のママさんから「そーゆーの読みたいから是非書いてみて!」と言われ書く気になった。
1~2ヶ月で書きあがるだろうと思っていた、カナダにいるうちには仕上がるだろうと思っていた、でも結局、半年近くかかってしまった。
俺が帰国して一ヶ月もしないうちにそのママさんは旦那と子供を残してマレーシア人の恋人とどっか行ってしまったから、途中からは誰に読ませるためとも言えないまま書いた。でもこの1992年という俺の人生の中で一つの節目のような年を残しておくには最高のものだと思う。何十年か経って、ふと本棚からこのノートを取り出し「あー こういうこともあったなぁ」と笑えたらそれでいいと思う。
最後に、日本を離れる際にいろいろな面で協力、励ましをくれた両親、兄貴、加藤、よし、岡崎、丁田、きしゃん、たいしん、吉武さんその他大勢の方に心から御礼を言いたい、どうもありがとうございました。
そしてツーリングの時は、俺みたいなワガママな奴と一緒に10日間も、涙目になりながらも苦楽をともにして、しまいにゃ金まで貸してくれた「長老」こと門松義典君、感謝してます、長老にはこれからもずっとモーターサイクルというものを愛しつづけ、すばらしい人生を送ってもらいたいと思う。

伯川 正純


  • アパートの窓から見えるバンクーバーの紫色の夕陽

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