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仏教説話 とっても興味深い説話をご紹介します
指と月
 月のあるところを教えてやろうとして、指で月を指し示すと、愚かな者はただ指だけを見て、肝心の月には目もくれません。そこで、教える人は言います。「私の指を見ていてはいけない、指は月のあるところを示しているのだから。指の示す方向をたどって空の月をご覧なさい」

 言葉とその本当の意味とは、ちょうどこれと同じ関係になります。聖人達はいろいろな言葉を使って、迷っている大衆のために心理を解き示してくれているのです。ところが大衆はその心理について見極めようとはせず、ただいたずらに聖人達の洗練された言葉の端々にとらわれて、しかも十分に理解したつもりになってしまっている場合が少なくありません。しかし言葉はあくまで言葉であって、本当の心理自体ではありません。しかしそれを混同してしまうのが世の中の一般大衆の悪い癖ともいえましょう。指の示す方向をたどって月を見るようにしなければ、本当の意味は理解できるはずもないのです。

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不眠不休の音楽
 あるところに音楽家がいました。その音楽家がある知人の大金持ちに牛をもらいたいと申し入れました。しかし金持ちには、この音楽家に牛をやる意思がありませんでした。そして言うには「昼も夜も休まずに一年間音楽を奏でてくれれば、お望み通り牛をあなたに差し上げましょう」

 音楽家は答えました。「承知しました、しかしあなたも一年間休まずに、音楽をお聞きになりますか」そう念を押しました。大金持ちも行きがかり上、それを承知しました。そこで音楽家もこの大金持ちの答えに満足して、一生懸命に音楽を演奏し始めました。それこそ三日三晩少しも休まず怠ることなく音楽を奏でたのです。大金持ちはほとほと音楽に聞き飽きて、音楽を聞きたくないために、とうとう牛を音楽家に与えてしまいました。

 仏教の言葉に「増上慢」という言葉があります。おごり高ぶる気持ちをおこしてはならないという教えです。まさに大金持ちの浅はかな約束そのものです。

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捨てられない糞(ふん)
 あるところに、農業を営んでいる人がありました。ある時,道端に乾いた牛糞がたくさん落ちているのを見つけて、「これはたいへん良いものががあったぞ、拾って帰ればいい燃料になるだろう」と言いながら、山のように糞をかき集めて重いのを我慢しながら家路を目指して歩いていきました。

 ところが途中で大雨が降ってきて、背中に背負っていた山のような糞は雨水のために溶けて流れ出してしまいました。くさい糞の汁は、彼の全身に流れ、息も出来ないほどの臭いと汚さでしたが、彼はせっかくここまで運んできたのだと思うと、どうしても捨ててしまう気にはなれませんでした。彼はベトベトの糞を担いだまま歩き続けました。

 人というのは物事に執着してしまうと、それが意味の無いことや悪いことだと判ったとしても、なかなか簡単には捨てられないもののようです。

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